いわゆる「存在」には初めも終わりもありません。皆さんの概念における「初め」から「存在」はありました。ここで理解してほしいのは、「存在」とは本質的にそれ自体が完全な定義付けとなっていることです。時間または空間内のどの任意の点から見ても、常にそれ自体の定義となります。すなわち「存在は存在する」というだけなのです。
以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳) 『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.19より引用させていただきました。
「存在は存在する」というだけ……と言われても困りますね。
時空内のどの任意の点から見ても、常にそれ自体の定義……と言われても、なんだかキツネにつままれたようなそんな感じでちんぷんかんぷんです。
あえて自分なりに解釈してみるに、存在というのは、無にはなれない、無になったらそれはもはや存在とは呼べない。だから存在というのは常に存在し続けている。常に存在し続けているということは、存在を定義付けるときに、何時いかなるときも常に存在し続けているものが存在であるという定義自体が存在という自分を定義付けてしまう。常に存在しているものを定義付けようとすると、存在が存在しているとしか言いようがない……そういうことだと思います。
存在からすべての概念が派生し、それらの概念から行動が分化し、そして最後にまた存在自身の単純さへと戻っていく。このように、存在から始まり存在で終わるとのこと。
この初めと終わりの中間にあるもの=存在自体の内部で起きている相互作用 → ゼロから始まりゼロで終わる
存在はサイクルと円の性質を持ち、その性質を完結する。
存在自体には始まりも終わりもなく、常に存在していたし、これからも存在し続ける。
1 + (-1) = 1 と言うことなのかもしれませんね。
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