最初はなにもありませんでした。いわゆる「無」といっているものです。
「無」は、そのままではいられません。すべてを創り出し、完結するためには、なにかを生み出さなければならないのです。
その物理次元で生じたものが、時間と空間です。「無」が爆発して、この物理次元で、時間と空間を創り出しました。
時間と空間は、この「なにか」という部分です。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』P.41より引用させていただきました。
無から有は絶対に生まれないので、いわゆる「無」というのは、物理学的な無と言うことでしょうね。
なぜ「無」はそのままでいられなかったのか?
「無」に見えたが「無」ではなかったから。
物理学上は「無」であるが、もっと上の次元から見れば、無ではなかった。
いやそれどころか、全てを含んだ無だった。
無はただの無ではなく、有を孕んだ無だったので、そのままではいられなかった。
でも、その時点では、時間も空間もないのだから、永久に無で居てもいいのではないだろうか?
時間も空間もない次元と、無の有の部分が存在する次元は違うということか。
「無」が完結するためには、時間と空間を生み出すことが必要だった。
何故「無」は無のままでいることをよしとせず、何かを生み出そうとしたのか。
「無」のゴールは、すべてを創り出す事。
と言うことは、時間と空間が創り出された時に同時にすべても創造されたということか?
きっとそうでしょうね。そうでないと完結しません。
「無」のゴールである「全ての創造」のためには時間と空間を必要とした。 (ごく当たり前)