みなさんは成長の過程で、こういうことが起きたら、これはこういう意味だと自動的に考えています。しかし、実際は自分が与える意味によって、自分の、この肉体レベルでの現実を創っているのです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』P.135より引用させていただきました。
これはおそらく二段階のレベルに渡ってこういうことが言えるのでしょう。
第一段階の常識のレベルでは、現実は変わらないがそれに与える意味によって自分の見る現実は変わってくる。
そう言えると思います。
半分コップに入った水をもう半分しかないと見るかまだ半分しかないと見るかで、その人の現実は変わってきます。
もう半分しか水がないのなら、節約しなくてはならない、あるいはどこかから水を持ってきて満タンにしなければとそういう現実です。
まだ半分水があるのなら、まだ半分もある!なんて嬉しいんだろう。ほんと有難いなあ水がまだ半分あってとそういう現実です。
他にもいろいろ考えられると思います。
第二段階のレベルは集合的な無意識のレベルで、たとえば、机が固いのもみんなが机が固いものだと思ってるから実際に固いのであり、人が歳をとって老いるのも、人は歳をとって老いるものだとみんなが考えているから実際に老いていくという現実です。
さらにレベルは拡大できますが、今はやめておきます。