この二つの極がひとつになってすべてを創っています。
すべてを創るには、この二つがどうしても必要なのです。
「無」と「なにか」です。
こうした連続した時間の中では、こんな感じです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』P.41より引用させていただきました。
陰と陽、プラスとマイナス、生と死、これらはものそのものではなく、状態を示すものなので、ここで言う「無」と「なにか」というのも、おそらく状態のことなのだろう。
「無」と「なにか」というのは、存在の二つの極である。
すべてのものは、ひとつの存在そのもののエネルギーから出てきている。
存在には二つの極があるということは、限りなく無に近い存在から究極的有に近い存在までのグラデーションになっているということでしょうね。それが個性と言うことでしょう。
「無」という極に限りなく近づいている存在は、たとえば死に行く存在だろう。
あるいは死んだ状態だ。(死と言う無は存在しないので)
すべてを創る(=存在がすべての波動を出す)には、「無」と「なにか」が必要。
「無」と「なにか」の結合からすべてのもの(すべての波動)が、出てくる?