観念というのは、これが真実だと「信じ込まされてきた」ことなのです。
観念がなければ、あるいは現実に対する定義がなければ、みなさんはこの物理的な現実を体験することはできません。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), くまり莞奈子 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック8―ワクワク、それは人生に活力を与え続ける機関車 (VOICE新書)』P.116より引用させていただきました。
石とか山とかにもきっと観念があるんでしょうね。
というのは、石も山も、自分の現実を体験しているはずですから。
石も山もこの現実という共同で見る夢を見ているはずです。
もしそうでないとしたら、この引用した論理からいくと、人間以外のものは存在しないことになります。
石も山も幻覚だということになります。
それとも、石とか山とかは、観念を持っていないから物理的な現実を体験することはできないが、存在はしているのでしょうか?
でも、たとえば、石を蹴ったら空を舞い地面で跳ねたという事実があって、これって石にしたらひとつの体験だと思います。
石は現実を体験してるのだから、当然石も石なりの観念をもっている気がします。
だとすれば、石はどうやってそれらのことを学んだのでしょう?
誰に教えられたのでしょう?
もし石に石は空を飛ぶものだという観念を与えることが可能なら、石は空を飛び始めるのでしょうか。
コメント