みなさんは無意識のうちに、たえず非常に早いスピードで定義を変えているので、動きや時間の変化がひとつのつながりのように続いて感じられるのです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), くまり莞奈子 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック8―ワクワク、それは人生に活力を与え続ける機関車 (VOICE新書)』P.116より引用させていただきました。
私たちはつねに観念や定義を変えており、それによって物理次元の時間と空間を体験している。
もし観念や定義を変えていなかったら、物理次元の世界はまったく何も変わらないように見えるでしょうとのこと。
無意識のうちに定義を変えていると言っても、本来は無意識は存在せず意識はひとつのものなので、有意識のうちに定義を変えているだけなんでしょうね。
観念や定義をまったく変えなければ、この物理次元の世界は、時間と空間を失い、静止してしまうんでしょうね。
でも、時間や空間のない世界で生きていても仕方ない(何も体験できないから)、というかそもそも、時間や空間がなければ生きていけない。
体験して現実を味わいたいから、無意識と有意識において常に定義と観念を変えて時間と空間を生み出したのが、この現実だが、実際には味わいたくない現実まで味わってしまうのは、好ましいことではない。
犬や猫も、定義は変えているのでしょう。そうでないと、現実に反応できません。
何も変わらない現実には反応できないからです。
犬や猫にとっても現実は変化しているはずです。
ということは犬や猫にも意識はある。
彼らに思考はないかもしれないが、意識はある。
だから現実に対して反応ができる。
じゃあ、誰が定義を変えているのか?
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