瞑想のなかにある心(マインド)は 静かです それは 思考が その表象 言葉 知覚のすべてとともに すっかりやんでしまうときにおとずれる静けさです : J.クリシュナムルティ著『瞑想』

瞑想のなかにある心(マインド)は 静かです
それは 思考でとらえられる静けさではありません
おだやかな夕ぐれどきの静寂ともちがいます
それは 思考が
その表象 言葉 知覚のすべてとともに
すっかりやんでしまうときにおとずれる静けさです

以上、J.クリシュナムルティ (著)『瞑想』P.6より引用させていただきました。

それにしても、表象すなわちイメージとか象徴とか、あるいは言葉とか、さらには知覚でさえやんでしまった後に訪れる静かさってどんなだろう?

一口で言えば、生きているのに死んでいる状態だろうか。

人は寝ているときでさえ、そのイメージとか表象は盛んに頭のなかを飛び交い、だいたい人は夢の中で思考することもあるではないか。

さらに瞑想しようと考えるそれ自体が思考であり、思考から始まって思考をやめさせることなんてできるのだろうか。

思考でとらえる静けさとは、思考で静かだなと認識している静かさだろうか。
夕暮れどきの静寂とは、情緒的な静かさだろうか。

でも、そもそも、そんなことがもし可能であるとすれば、人間にはこの物理的な現実以外の次元に存在する何かがあるということだろう。そしてそれが何を意味するかと言うと、人間の死後もその何かは残るだろうということだ。

そのなにかとはおそらく意識だろう。

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