「大いなるすべて」が「大いなるすべて」であるためには、それ自身の中に「大いなるすべて」であるということを「知らない部分」を持っていなければなりません。
そうすることによって、「大いなるすべて」は、存在と非存在、全体と部分というようなパラドックスを含んだ概念全体になることができるのです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 北村麻紀 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック7―ワクワクとは、あなたの魂に打たれた刻印である (VOICE新書)』P.226より引用させていただきました。
「大いなるすべて」の一番高いレベルでは、自分自身が「大いなるすべて」であるということを忘れることはできない。
つまり、ミステリーや不可思議なことを経験することができない。「大いなるすべて」であるにも関わらずに。
(すべてを知っているので、知らないという経験が出来ない。
でも、知らないという経験でさえ、それはすべてに含まれるはずだ、となる。)
そこで、「大いなるすべて」は、自分自身の中にさまざまなレベルを創った。
「大いなるすべて」がミステリーと呼ばれる概念を創ることができなければ、完全な「大いなるすべて」になることはできない……と、そうバシャールは言います。
ここでパラドックスが発生!
すべてを知るには、知らないという状態も知っていなければならない。
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