形態の「死」が訪れたとき、あるいは、生命形態が失われたときにはいつでも、形として顕現される前の状態である神が、形態の消失が残していった穴を通して、光り輝きます。 : エックハルト・トール

形態の「死」が訪れたとき、あるいは、生命形態が失われたときにはいつでも、形として顕現される前の状態である神が、形態の消失が残していった穴を通して、光り輝きます。

以上、エックハルト・トール (著), Eckhart Tolle (原著), あさり みちこ (翻訳)『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』P.189より引用させていただきました。

引用した文章の前後をまとめてみます。

死ぬことを学ぶことは生きることを学ぶこと。

自己認識を失うのが死を恐れる理由。

何かを失ったとき、内面でもなにかが死ぬ。
「わたし」という感覚がいくらか消滅したように感じる。

何かを喪失したときは、そのことをありのままに受け入れる。
同時に、自分を被害者にでっちあげる心の作用に気づく。

空っぽのスペースに気がついてそれを受け入れることができたなら、心の穴は、平和の思いへと変わる。

死を受け入れ、死について瞑想することによって、神の平和が訪れる。

移ろいやすいものに気がつくためには、不変のものが必要。
それが「意識」。形のない「唯一の生命」。

死とは形態の消失に過ぎず、すべてはありのままでいいのだ(同書p.193)

その静止状態から、「平和」という祝福がやってくる。

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