中立な状況に肯定的な意味を与えれば、そこからは肯定的な結果しか引き出すことができません。
中立な状況に否定的な意味を与えれば、そこからは否定的な結果しか得ることができません。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック4―ワクワクこそが、ひとを深くいやす力がある (VOICE新書)』P.89より引用させていただきました。
とは言っても、常にこれができるとは限らないです。
トラウマ的なことや、自分の信条に反することだと、なかなか肯定的な意味を与えることができないものです。
これが完璧にできるようになるには、エゴを捨てる必要がある気がします。
自分を無くせば、結果、すべては中立になります。
それに意味を与える主体が存在しないからです。
だあれも知らないところで起こっていること、それが何であれ、それに意味はありません。
意味を与える主体が存在しないからです。
リビングでつけっぱなしのテレビの誰も見ていないドラマには誰も感動しません。
意味を汲む者がそこにいないからです。
2013.5.2追記
つまるところ、生きるとはこういうこと。
生きるとは、意味を与えること。
死んでしまえば、意味を与えることは出来ない。
意味を与えることが出来るからこそ
すべてから、肯定的な結果も否定的な結果も
自由に得ることが出来る。
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