つまり、本当は、そのバイブレーションが先で、現実はただの映像なんですよね。
『現実は中立で感じてるのは自分の中だけ』
以上、関野あやこ (著) 『CDブック 未来図Part3 病気のない地球へ』P.227より引用させていただきました。
さて、私は論理的思考が好きなので、抽象的な表現は苦手です。
おそらく直感的に読むとこれを理解できるんだろうと思うのですが、私の場合、バイブレーションという言葉が具体的にイメージできない。抽象的に感じてしまう。
なので、うっすらとしかこのことを理解できていない。
まあ、これは波動と言葉を変えても同じだと思う。
波動と言う言葉も私にとってはピンと来ない言葉だ。
さて、前置きはこれくらいにしておいて、あやこさんの言っていることをまとめてみると。
私たちは自分の中にたくさん持っているバイブレーションのひとつを選んで映像化して、それを観ているのだが、眠ることによって、出てくるバイブレーションを現実とくっつけることができたそうだ。
つまり、眠ることによってはじめて、自分の中に持っているバイブレーションとそれを映像化した現実とをリンクすることが可能となり、本来は中立なただの映像に深刻に関わることが可能となった。
バシャールの言うように、この現実が夢であるのなら、現実に居るということは、眠っていると言うことなのだろう。
制限をかけること(=眠ること)によって、映像に感情移入ができるようになった……らしい。
であるなら、目覚めるとはどういうことだろう?
いや、夢で目覚めてしまったら、その途端に夢の世界から追い出される。
だから、夢の中で、これは夢だと気づくことが、目覚めることだと考えられる。
この現実という夢の中で、これは夢なんだと気がつくことが、現実という夢から覚めることに他ならないのだろう。
制限のきつい世界(この現実)が夢で、意識が自由に解き放たれた世界(いわゆる夢の世界)が現実。
ここにもいわゆるパラドクス的な逆転現象が存在する。
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