あなたが「よし、変わる!」と決めることと、あなたが自分を変えようとすることは、以て非なるもの。 : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む
あなたが「よし、変わる!」と決めることと、あなたが自分を変えようとすることは、以て非なるもの。
(中略)
変えようとせず、ただ気づいてください。
あるがままの状況を気づいていてください。
以上、Mana (著) 『空(くう)―天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』P.100より引用させていただきました。
これは……
ハッキリ言って理解不能です。
頭では理解できません。
でも、ハートではなんとなくわかります。
その違いが。
論理的に考えると、自分が変わると決めるから、自分を変えようとするんだと思えます。
自分を変えようとする意志の前に、自分を変える、もしくは自分は変わる、という決断があるはずです。
決めるから変わるのです。
でも、これだと何だかおかしいです。
伝えようとする意味がずれていってる気がします。
ポイントは、よし変わる!は自分が主人公であり
自分を変えることは、自分が何かの僕(しもべ)になってしまう
ことではないでしょうか?
つまり変えようとしている時は、自分を別のものとしてみている。
自分を自分から離れたものとして見ている。
ということではないでしょうか。
自分とは変えるものではなく、変わるもの……
なのかもしれません。
つまり、自分(肉体エゴ)も現実の一部であると見た時、自分(「空」意識)が変わることで、現実をも含めた自分(肉体エゴ)が変わっていく……
自分を肉体エゴの自分と考えるか、高い意識の本当の自分と考えるか、そのどっちで捉えるかを文脈において考えるのが大切な気がします。一口に自分といっても二種類あることになる。(純粋な意識である「空」意識としての自分と創られた肉体エゴとしての自分)
……ということで、さらに次の記事へと続きます。
いま、一度読み返してみて
変えようとする自分は肉体エゴの自分ですね
そして
あるがままの状況に気づいている自分は「空」意識です。
「空」意識の仕事は、決めることと観察すること。
決めたらあとは宇宙がプロセスや原因を用意してくれる。
現実をいじろうとする、変えようとする、努力するのは肉体エゴの仕業
って感じですかね。
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