喜びエネルギーしか生みださない”神なる意識”にとっては、自分を錯覚させ、自分に何らかの制限をかけないかぎり、複雑怪奇な人間感情を観察して知ることが無理だった : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む

喜びエネルギーしか生みださない”神なる意識”にとっては、自分を錯覚させ、自分に何らかの制限をかけないかぎり、複雑怪奇な人間感情を観察して知ることが無理だった : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む

本質的に喜びエネルギーしか生みださない”神なる意識(神の意)”にとっては、自分を錯覚させ、自分に何らかの制限をかけないかぎり、複雑怪奇な人間感情を観察して知ることが無理だったのです。

以上、Mana (著) 『空(くう)―天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』P.86より引用させていただきました。

人間という存在の本質探求、その核心にかなり近づいたように感じます。

最初から最後までまったく平和で善人しか出てこなくて、良いことしか起らない、そんなテレビドラマなら誰もそれを面白いとは思わないでしょう。決してそのテレビドラマにハマらないだろうし、視聴率も稼げないと思います。

喜びしか表さないテレビドラマをつくることが可能なのに、誰もそんなドラマをつくろうとしないし、必要ともされていない。

主人公にさまざまな障害や困難という制限をかけるからこそ、そのテレビドラマは面白くなり、観ていてさまざまな感情を抱くことが可能になる。感動することができる。

さらにいえば、ドラマに感動するためには自分を騙さなければならない。
ドラマなんて単なる作り物と思っていては感動できない。
あたかもそれが現実であるかのように錯覚して感情移入するからこそドラマに感動できる。

MIL30047

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