この世はオンラインゲーム?キャラクターというデータを搭載した”肉体ぬいぐるみ”に入りこんで、現実観察のゲームをしているだけ? : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む
“自分が生まれている”ということ自体が幻想。
生まれてはいないのだ。
そういうゲームをしているだけなのだ。
キャラクターというデータを搭載した”肉体ぬいぐるみ”に入りこんで、現実観察のゲームをしているだけだ
以上、Mana (著) 『空(くう)―天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』P.72より引用させていただきました。
昔、セカンドライフというオンラインゲームが流行りました。
このオンラインゲームには目的がありませんでした。
ゲームなのに、特にクリアすべき目的はないのでした。
ですからその中で繰り広げられることは、この実際の世界となんら変わりのない穏やかな日常でした。
知っている人に会えば挨拶をし、食事をしたり、喫茶店でお茶したり、仲間とパーティに出かけたり、時々仕事をしたり、中には結婚して家族を持ったり……そんなオンラインゲームでした。
セカンドライフの面白さは、アバターと言われる自分の分身を操っての他人とのコミュニケーションにありました。
逆に言えばバーチャルな世界でのリアルなコミュニケーションのためにセカンドライフというオンラインゲームにインする、そういう感じでした。
アバターという自分の分身は、お金をかけたり、あるいは無料のアイテムを時間と労力をかけてゲットしたりして、いくらでも美しくあるいはカッコよく仕上げることができました。
それは何のためだったかと言うと、コミュニケーションのためです。
自分が綺麗だと言われること、自分がカッコいいと言われること、それによってアバターを操作している自分自身が良い気分になる。その良い気持ちの”フィーリング”こそがこのオンラインゲームの目的でした。
先頭で引用した文章は、Manaさんが”上”から受けとったメッセージだそうですが、もしそれが真実だとしたら、私たちの現実と言うのはこのオンラインゲーム”セカンドライフ”と本質的には同じだということになりますね。
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