退屈な状況があるのではなく、退屈な意識があるだけなのです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), くまり莞奈子 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック8―ワクワク、それは人生に活力を与え続ける機関車 (VOICE新書) 』P.23より引用させていただきました。
バシャールはすべての状況は中立である。
初めから決まった意味などないと言っています。
ですから、もし退屈だと思う状況があるとしたら、中立の状況に自分で退屈であると意味づけをし、そして実際に退屈も感じていることになります。
退屈だという感情を抱く前に、意識による意味づけがあるということですね。
その状況に何も意味を与えなければ、退屈だと言う感情も出てきません。
逆に同じ状況に面白いという意味づけをすれば、退屈ではなくなります。
その状況に面白くないと言う意味づけをしたから退屈になったのであって、その状況そのものが退屈だというわけではない。その状況はあくまでも中立で意味は持っていない。
もし誰かが話をしている。
みんなで椅子に座って話を聞いている。
ある椅子の上には石がのっている。
その石にとって、誰かの話は中立です。
なんの意味ももちません。
でも、その石が意識を持って、「人間についての話はつまらないから石についての話をして欲しい」と思った時、石にとってそれからの話は突然退屈なものになるでしょう。
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