みなさんが「動き」と呼んでいる考えは、本当は幻想で、実際にはひとつの位置から次の位置へと、テレポートしているのです。
ゆっくりとした連続性を作り出すために、非常に小さなジャンプを積み重ねています。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック5―望む現実を創る最良の方法はワクワク行動をすること (VOICE新書)』P.277より引用させていただきました。
このバシャールの言葉を聞いて抱く感想は、おそらく……
そんな馬鹿な!
だと思います。
体感的にまったくテレポートなんかしていないように思えるからです。
しかし
時間についてウィキペディアで調べてみると、時間の最小単位なる概念があります。
時間の最小単位 [編集]
古典物理学(量子論以前の物理学)における時間は連続体であり、実数で表せる。つまり時間はいくらでも細かく分割可能なものである。だが物質の最小単位として原子や素粒子があるように、時間にも最小単位があるのではないかとも考えられる。例えば映画フィルムのように一コマ以下の時間は存在しないという考えである。物理学(量子力学)ではこの最小時間間隔をプランク時間と呼ぶ。
まさにバシャールの言う「映画フィルムのように一コマ以下の時間は存在しないという考え」なのです。
さらにプランク時間も調べてみると
量子力学における不確定性原理との関係上、プランク時間が測定することのできる最小の時間であり、それゆえにこれが物理現象の最小時間単位であって、プランク時間は物理的に何らかの意味のあるものとして計測することのできる最小の時間であるという説が有力とされてきた。
しかし、最近では Zurek その他の研究により、量子カオス系においてはプランク定数以下のミクロ構造が現れる事も知られている
とのことです。
時間に最小単位があるとしたら、時間がない時は、時間が止まっているのでしょうか、それとも時間が飛び飛びに存在するのでしょうか。
でも、時間が止まっているのなら、それは結局時間が連続していることになるので、つまり時間の流れの中で暮らしている私たちにとって時間が止まったとしても別に何の意味もないわけです。そのあいだ時間はまったく進まないのですから、止まっている時間を知ることは不可能です。
そうなるとやはり、時間にそれ以上分割の出来ない最小単位があるのなら、バシャールの言うように、時間は飛び飛びで、映画のフィルムの1コマ1コマのように流れているのかもしれません。
コメント