テーブルはあなたが実際に手をのせるまでは単なる考え、思考のひとつです。
あなたのエネルギーを、そこにテーブルがあるということに注ぐまでは、テーブルは存在しないのと同じなのです。
テーブルが硬いと感じるのは、あなた自身のエネルギーを感じているからです。
テーブルは、それ自体でそこに本当に実在しているわけではないのです。
あなたのエネルギーで創られて初めてテーブルは事実となります。自分以外のエネルギーと実は交流することはできないんです。
(中略)
あなたがいる部屋の中にあるすべてのものにあなたはパワーを与えています。
すべてのテーブル、すべてのイスもあなたのエネルギーで創られています。
皆さんのエネルギーなしではそれらのものは単なる思考にすぎません。
それ自体の物質というのは存在しません。
以上、ダリル・アンカ (著), 関野 あやこ (著), ROCO (編集), 佐藤 カスミ (編集), 大湯 由里子 (編集), 関野 直行 (翻訳), 佐藤 レイナ (翻訳) 『バシャール&関野あやこ 次の地球へ』P.90-91より引用させていただきました。
手をのせるまでは単なる考え、思考のひとつとは言うものの、触覚に関してはそうだが、では視覚に関してどうなんだろう?という疑問が湧く。
目で見て、耳で聞いて、匂いをかいで、確かに存在すると思っても、実際に自分がそれを触るまでは、それは単なる思考で存在しないのだろうか?
この部分は、おそらくバシャールは分かり易いたとえで述べていると思われる。
そのものにエネルギーを注いでいるからこそ、見えたり、聞こえたり、匂いがしたりするのだろう。
物理的に考えれば、触ることも聞くことも見ることも原理的には同じなのだろう。
2013.9.5追記
ここでも先の記事と同じ疑問が湧く。
テーブルはあなたが実際に手をのせるまでは単なる考え、思考のひとつです、とは言うもののその同じテーブルは、他人が実際に手をのせなくても他人にとってはテーブル以外の何者でもないでしょう。
あるいは他人の目にはテーブルと映っているが、他人が手をのせるまでは、そのテーブルも単なる他人の考え、思考に過ぎないということでしょうか。
というかこれがバージョンということなんでしょうね。
みんながそれぞれに、自分バージョンの宇宙で引用したようにエネルギーを注いで、単なる考え、思考を、現実のもの(体験)にしているんでしょうね。
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