時間とパラレル・ワールドについて:バシャール2006

BASHAR2006(バシャール2006)―バシャールが語る魂のブループリント』の裏表紙から始まる未来へのトビラという章は時間とパラレル・ワールドについての話から始まる。

以下、簡単にまとめながら感想を述べたいと思う。

時間は幻想であり、過去も現在も未来も、いま同時に存在している。

未来は現在に存在しているがゆえに、地球人の言う未来は存在しない。幻に過ぎない。
しかしながら、未来については多くの可能性があり、その意味では未来は決まっていない。

(疑問:ここでも頭が混乱する。未来が存在しないのに何故多くの可能性が私達を待っているのだろう?未来が存在しないのに何故私たちには選択の自由があるのだろう?時間は存在しないが時間的前後関係や因果関係は存在すると言うことがある得るのだろうか?それとも選択の自由があると思っていること自体が幻想なのか?)

要するに存在するのは現在だけ。
しかも現在の在り様は無限に存在している。

つまり唯一存在する現在という世界はパラレル・ワールド化している。
現在という時間にありとあらゆる可能性が芽吹いた世界がすべて等しい価値ですでに存在している。

パラレル・ワールド、平行する現実の概念とはバシャールによると以下のようになります。

テーブルの上にリンゴがある。
あなたはそのリンゴを手に取り食べようと決断する。
そして実際にリンゴを手に取り食べた。

この場合、可能だったほかの決断、行動はなされなかったことになる。
たとえばリンゴを手に取りそのまままたテーブルに戻す。
たとえばリンゴを手に取りそのまま持ち去る等など……。

しかし、それらの「なされなかったこと」はほかのパラレル・ワールド、並行生の中で、さまざまなバージョンの自分によって、実は”同時に”起こっていたのだ。

リンゴを食べた自分とリンゴをテーブルに戻した並行生の自分、リンゴを持ち去ったこれまた並行生の自分、これらの自分が同時に存在していた。

……と、そういう考えだ。

パラレル・ワールドは無限にあって、体験しうる経験はすべて同時に起こっている。

無限にある現実のうち、どれを実際に体験するかは、自分の波動、周波数によって決まる。

変化を決断すると、周波数が別の波動に変わり、以前いたひとつの世界から並行する現実、パラレル・ワールドに移行する。(疑問:それでは変化を決断しなかった並行生の自分も存在するのだろうか?常に並行生の自分も無限に存在しているのだろうか?それとも人は並行生の自分を渡り歩いて行くのだろうか)

以下同書未来へのトビラP.3には以下のように書いてある。

みなさんの意識は、並行する現実を経験できるほどの大きさがあります。ですから、みなさんが自分の意識の中でフォーカスする波動を変えると、何であれその新しい波動によって、並行する現実を体験することができるのです。
意識の中に同時に存在している別の体験に移っていくわけです。

宇宙のすべてにはすでに自分の意識が浸透しているということか?
宇宙のすべては意識でありその意識の中にはすべての可能性があらかじめ存在している。
あらかじめ存在しているものを、自分の周波数の波動を変えて移行していく行為が現実の体験ということか?
あるいは体験でさえすでにもう無限に存在していると言うことか?

しかし

「無条件の愛」だけが唯一「本当の現実」。いわゆる「現実」はそれを解釈した「現実の”経験”」にすぎない

ということだから、現実とは一体なんだ?ということになる。(^-^;

MIL20037

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