あなたが人を裁く時は、その裁いている人とあなたが同じバイブレーション、その結果裁きのバイブレーションになってしまうのです。それが自分自身を裁くことになり、裁いた人の人生とまったく同じ人生を、あなたが送らなければならなくなるのです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある (VOICE新書)』P.62より引用させていただきました。
これについて先日一度やったのですが、ずっと心に引っ掛かりがあったので、もう一度考えてみたいと思います。
人を裁くと、自分が裁きのバイブレーションになってしまい、裁いた人と同じ人生を送ることになるということですが、どうも引っ掛かります。
バシャールはさらに、裁き、判断、あるいは良くないことだ、というように否定することは、自分自身を否定している(同書P.61)とまで言っています。
自分の持っているものを人に投影していることであり、すべての裁きは自己判断だということです。
裁かないようにする、判断しないようにするには
まずは判断していることを認める。
判断しないことも選べたが、自分は判断することを選んだということを、まず認める。
人を判断して、判断したことに対して、さらに自分を判断してしまうと、さらに判断が加わるだけ。
だから、まず判断していることを認める。
それから想像の中で、本当はどういうふうになりたいのか、どういうふうに行動したいのか、イメージしてみる。すると実生活にも変化が現われてくる。
つまり、判断をもたらさないような状況が、人生の中に引き寄せられてくる。
(これは裁きのバイブレーションとは逆の裁かないバイブレーションに自分がなったので、裁こうとした人の人生とは違う人生を送ることになるということか?)
ポイントは二つかな?
自分と同じバイブレーションのものを人生に引き寄せる
と
裁き、判断、否定=完全さの否定、分離、差別
ま、ということで……
世の中の理不尽なこととか不正とか、そういうのを目にしたり耳にしたりすると
それを正したくなるが、それも裁き、判断、否定なのか
それとも、それとこれとは、話は別なのか
そもそも質問者の質問は、時々人を判断したり、人を裁いてしまうけど、どうしたら直せますか?なので、社会正義とか道徳とか、そういう善悪がハッキリしているものとはまた別の話なのかもしれませんね。
ということで、自分の中でこの問題について少しスッキリしました。
コメント