多くの場合、「怖れ」から、「疑惑」から、そして「罪悪感」からあなた方は選択します。その結果、自分の人生の中に、自分が選びたくないものを引き寄せてしまっています。by バシャール

あなた方の社会は非常に無意識なレベルで機能するようにつくられているということです。(中略)多くの場合、「怖れ」から、「疑惑」から、そして「罪悪感」からあなた方は選択します。その結果、自分の人生の中に、自分が選びたくないものを引き寄せてしまっています。

以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある (VOICE新書)』P.38-39より引用させていただきました。

ありますねこういうことが……。

怖れは根本的には死への恐怖から来ると思います。
もし自分がパワフルで誰にも負けずさらに不死身で決して死ぬことがないのなら、おそらく「怖れ」から無縁になると思います。怖れの感情を起こす根本原因は死への恐怖だと思うのです。

「疑惑」はどこから来るのかといえば、エゴから来るのだと思います。
エゴではなく無条件の愛から相手を見ることができるなら、決して疑いの感情は起こらないと思います。自分を守りたいから疑いが生まれると思うのです。

「罪悪感」も愛の欠如から生まれると想像します。
なぜなら前の記事で愛の反対語は罪悪感であるとバシャールは言っているからです。
自分を無条件に愛することができたら、罪悪感も起こらないでしょう。

私達に死への恐怖は常にあるでしょう。
それを意識していなくても、無意識的に死を恐怖しているでしょう。
だからこそ反射的に生命の危険を回避できる。

これは、無意識的にエゴにしたがって生きていることにもつながる。
人はこれまた常に無意識的に自分の肉体の生命を優先的に維持しようとする。
ここにも死に対する恐怖が存在している。

では「罪悪感」とは何か?
罪悪感は限りなく無関心に近い。そして愛の反対語。
罪悪感とは死そのものか?罪悪感とはそれが存在しない感覚?

罪悪感を広辞苑で引くと

ざいあく‐かん【罪悪感】
自分が罪悪を犯したと思う気持。「―にさいなまれる」

では罪悪とは何か?

ざい‐あく【罪悪】
道徳や宗教の教えなどにそむく行い。悪事。

道徳や宗教の教えにそむくのが罪悪であるなら、道徳や宗教の教えは愛である、となるはずだ。愛の反対語は罪悪感だから、罪悪感の反対語は愛ということになる。

……で何故、人は自分の選びたくないものを引き寄せているのだろう?
この疑問は、何故人は、怖れや疑惑や罪悪感から選択してしまうのだろう?と同じになる。

論理的合理的に考えて、この答えは、人は死を信じ、エゴで生き、愛に生きていないから……となる。

結論を導くなら、永遠の命を信じ、無条件の愛に生きるなら、自分の選びたいものを引き寄せながら生きていくことができるということだろう。

TAH02046

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