ところが瞑想は、実は危険を伴う行為でもあります。過去の経験や記憶によっては、たくさんのネガティブな思いが浮かび上がってきます。瞑想をするということは、潜在意識というパンドラの箱を開けるようなものだからです。
以上を、ヨグマタ 相川圭子 (著)『ヒマラヤ大聖者のマインドフルネス』38ページより引用させていただきました。
この引用した文章によって、なぜ私が瞑想が嫌いなのか分かった気がします。
私の場合は気分的に落ち込むことが多く、大抵はいつも落ち込んでいます。
つまりバシャール的に言えば、一種の瞑想を常にしていることになります。
ということは私が瞑想に興味が無い理由として、いつも瞑想をしているのであらためてさらに瞑想をする気にはならなかったというのが考えられます。
さらに言えば、間違った瞑想をしていた、と言うのもあるでしょう。
バシャールの言う落ち込みと言う瞑想において、過去を反省の材料として前向きな未来を描き出すというポジティブな落ち込みではなく、潜在意識のパンドラの箱を開けてしまい、さらに多くのネガティブな思いを浮かび上がらせてしまうという間違った落ち込みの仕方をしていた可能性があります。
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