瞑想をすることは、心を空っぽにすることです。ノーマインドにすることです。それはあなたが生まれてから、あるいはその前からの記憶や執着を「手放す」ということです。
以上を、ヨグマタ 相川圭子 (著)『ヒマラヤ大聖者のマインドフルネス』36ページより引用させていただきました。
人が何か本当に好きなことをやっている時、それを無心と表現することが多いです。
言い得て妙です。
好きなことに熱中している時には、心が無い。
好きなことを熱中してやっている時には、おそらく昔のことはまったく考えていないでしょう。
現在に意識を集中し現在に生きていると思います。
「手放す」ということは、心はそういう余計なものをいつもは掴んでいるということでしょうね。掴んでいるから手放すことが出来ますから。
さらに手放すという行為は、何かを「する」という行為ではなく何かを「しない」行為です。
「する」より「しない」方が本来簡単なはずです。しないのですから。
人がワクワクすることを毎瞬毎瞬やっている時には、それは無心でしょうから、やはりワクワクを行動に起こすことは、瞑想にもなるように思います。
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