すべての観念はその中で完結しています。
なぜその中で完結しているかというと、観念は「その観念のみが真実である」と見えるようにつくられているからです。
その観念以外の現実はすべて単なるイメージ、想像であるかのようにつくられているのです。
以上、バシャール(チャネル:ダリル・アンカ) (著), 関野直行 (翻訳)『BASHAR GOLD(バシャール ゴールド)』P.244より引用させていただきました。
見るから信じるのではなく、信じるから見るのだから、疑いもなく信じているからこそ、それは観念なのでしょう。
その観念を信じることを選択するということは、自動的に、その観念以外は疑うことを選択することになるのでしょう。
信じていないことは意識がフォーカスしていないので、単なるイメージのまま、想像のままってことでしょうか。
いずれにしても、この引用したバシャールからの情報は、この本で初めて知った情報です。
2013.12.5追記
つまり、どの観念も現実になり得るから、すべてのイメージは現実であると言える、ということなんでしょうね。
現実となり得なかった観念は単なるイメージとして処理される。
すべての観念は平等ではあるが、ある特定の観念だけを信じることによって、現実とイメージとに分離される。
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