他の人の選択を判断しないとき、他の人が別の選択をすることを許してあげるとき、その人達と否定的な感情をもたずに交流することができます。まわりの人達を無条件の愛で見るとき、その人達は本当の自分自身を生きていくことができます。by バシャール

他の人の選択を判断しないとき、他の人が別の選択をすることを許してあげるとき、その人達と否定的な感情をもたずに交流することができます。
まわりの人達を無条件の愛で見るとき、その人達は本当の自分自身を生きていくことができます。
それによって、あなたも自分自身を生きることができるのです。
彼らには、彼らの学ぶべきことがあります。
あなたには、あなたの学ぶべきことがあります。
そして、その二人が交流するとき、そこに新しく学ぶことが出てきます。

以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック5―望む現実を創る最良の方法はワクワク行動をすること (VOICE新書)』P.104より引用させていただきました。

確かに他の人を判断しない、他の人を許す生き方をしている時には、否定的な感情をもたずに彼らと交流することができるでしょう。

そういう生き方は無条件の愛に基づいた生き方であり、本質が無条件の愛である私達なので、それが本当の自分自身を生きていくことになるのでしょう。

さてここでこれらの文章を断定しないで推測で書いているのは、私自身、時に他人を判断して生きているし、過去の過ちを許せないでいる他人も多々いるからです。

そういう私は自分自身を生きていないし、自分の学ぶべきことを学んでいないことになるのでしょう。
そして、他人が本当の自分自身を生きることを、妨げていることにさえなっているようです。

さらに、判断している人達や許していない人達とは、交流が滞っていることもわかります。

だからと言って、他の人が犯罪を犯そうとしている選択を判断しなかったり、その選択を許してあげるというのは、統一性が欠けるので、それはまた別の問題でしょう。

だがしかし、他人が犯罪を犯してしまったら、そのすでになされてしまった選択は(法律が裁くので)判断しないし、そのすでになされてしまった選択の罪を償うことを許してあげる、というふうになるのだと思います。

TAH02063

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