みなさんは物理的な現実を体験するために、意識をフォーカスするところに制限をつくりました。それで、見えない部分、感じない部分ができたのです。 : バシャール ゴールドより

みなさんが無意識や潜在意識と呼んでいるものは、本質的に存在しているものではありません。
みなさんが分けて使っているだけなのです。

みなさんは物理的な現実を体験するために、意識をフォーカスするところに制限をつくりました。
それで、見えない部分、感じない部分ができたのです。
ところが、その無意識の部分をつくって何千年も何千年も暮らしているうちに、本当は無意識の部分はいらないのだということをすっかり忘れて、ただクセでその部分を使っています。
でも、いまはもうそんな部分は必要ありません。

以上、バシャール(チャネル:ダリル・アンカ) (著), 関野直行 (翻訳)『BASHAR GOLD(バシャール ゴールド)』P.238より引用させていただきました。

以上についてまずは、論理的合理的に考えてみます。

ほんとうは無意識や潜在意識と呼んでいるものは存在しない。
私たちが意識を分けて使っているから、便宜上存在しているに過ぎない。
よって私たちが意識を分けて使うのを止めれば、意識はひとつになると考えられる。

しかし、意識をフォーカスするところに制限をつくることによってこの物理的な現実を体験できているのなら、論理的に考えて、その制限を取り除けば、この物理的現実を体験できなくなる。すなわち死が訪れるのではないか?と考えられるが……。

意識をフォーカスするところに制限をつくることによって、見える部分と見えない部分、感じる部分と感じない部分を自ら創り出したとのこと。

しかし、本来はその見える部分と見えない部分、感じない部分と感じる部分に、境目、区分、壁、制限は存在せず、同じひとつのものである……となる。

となると、少し乱暴に言えば、生きながら死んだ状態も体験できる、と言うことかもしれない。

見えなくて感じないものも存在している……とはどういうことだろう?
見えなくて感じないものをどうやって人は感知したらいいのだろう?

しかも本当は無意識の部分は要らないらしい
でもこれは無意識の部分を要らないから除外するのではなく
制限という壁を取り除いて
逆に無意識の部分も意識に含めてしまおうという意味ですよね?

……とさまざま疑問、分からないことが出てきましたが、さらに読み進めることによって、疑問やわからないことが解決するのを望みます。

……と、もう一度最初から引用部分を読むと

いま見えていない部分、いま感じていない部分にも意識をフォーカスすれば、本来のひとつになれると、読み解けますね。

TAH01066

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