自分流の相手、自分版の相手を創ることによってその部分を知ることができます。
ですから、相手がいても、直接的に関わっているのは、やはり自分自身なのです。相手の意識を自分流の解釈で見ています。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』P.45より引用させていただきました。
さて、この引用した部分も先の記事同様よく理解できません。
あえて自分なりに解釈すれば、共同で夢を見ているということでしょう。
現実というのは共同で見ている夢で、自分の夢の中に出てくる相手のことを、自分流の相手自分版の相手と言うのでしょう。
バシャールによれば、こういうふうに自分版の相手を見ることにみんなで同意しているんだとか。
一緒にいる人達とこういう遊びをするということをテレパシーのレベルで同意しているんだとか。
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