意識が見方を変えた現れ、それが「動き」
動き、連続性というのは幻想です。
誰かが部屋の片隅から反対側の片隅に動くとき、実際にはまったく動いてはいないのです。
意識が、ひとつの見方から別の見方に変えていき、そして、あとから見てみるとなんとなく動いたんだなと見えるようにつくりあげているだけなのです。
もっと正確に言うと、意識が見方を変えたことがこの物理的な現実に現れたもの、それが物理的な動きとなるのです。
意識であるあなたはけっしてどこにも動きません。
あなたは常にいままでいたところにいます。
「いま、ここ」にいるのです。
みなさんが物理的な現実の中で動きまわっているというよりは、物理的な現実がみなさんのまわりで動いていると言えます。
以上、バシャール(チャネル:ダリル・アンカ) (著), 関野直行 (翻訳)『BASHAR GOLD(バシャール ゴールド)』P.169より引用させていただきました。
もしこのバシャールの言うことが真実だったら……
でも真実だったとしても、天と地がひっくり返ることもなく、今までどおりに現実は続いていくだろう。
この事実を使ってお金を稼ぐことは、ちょっと思い浮かばない。
こんなすごい宇宙の真理を知っても、それはお金儲けにはならないだろう。
……と、おもいっきりネガティブに書き始めてみた。
でも、すべては中立だ、そこに元々の決まっている意味はない。
宇宙の真理は、実生活には、たいして役に立たないことを、ポジティブに捉えれば、ポジティブな影響を得るだろう。
宇宙の真理を知りつつも、それに頼らないで、いわゆる現実的に生きていく、それがこの現実に生まれた目的だろう。
宇宙の真理と金儲けは、別々のものであり、それで儲ける人もいるかもしれないし、いないかもしれない。
私の場合は、宇宙の真理を知ることにワクワクする。
いままで抱いていた疑問が解けることにワクワクする。
だから、バシャールからの情報を得ることは楽しい。
……さて「意識が見方を変えたことがこの物理的な現実に現れたもの、それが物理的な動き」というのが真相なのだが、ここで言う意識とは、どの意識を指すのだろう?
意識にもいろいろある。
ひとつである意識。(大いなるすべて)
個々の意識。(私たちの意識)
そしてそれに付随している無意識。(本来無意識は存在しない)
このどれが見方を変えたものが、動きなのだろう?
わたし的には、動きとは、いまここにすでに存在している無限のパラレル・ワールドを、同時にではなく、ひとつひとつ意識したときに生まれる副次的なものではないかと考えている。
誰かが部屋の片隅から別の片隅に移動する時、片隅から別の片隅の間にはすでにその誰かが無限にそして同時に存在している。もうすでに存在しているのを、ひとつひとつに意識をフォーカスして、存在を確認すると、それが動きと感じられる。
そう言うことではないだろうか。
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