この物質世界で体を動かすということはどういうことなのかバシャール的に考える

バシャールの、意識は体の中にあるのではないのです。意識の中に体があるのです。という言葉が、どうもひっかかっていた。

で、いろいろ考えてみた。

そして、もし夢の中で、何もしないでじっとしていたとしたら、それは可能だろうと思う。
夢の中で、何もしないのだ。そういう夢を見ることは可能だと考えられる。

では、次に、ものすごく活動的な夢を見る可能性を考える。
こんどの夢の中では、ものすごく体を使うのだ。
そういうガテン系の夢を見ることも可能だと考えられる。

しかし、どちらの夢においても、この物質世界いる自分自身は体を動かしてはいないのは明白だ。だって自分自身はベッドで寝ているのだから。

このことから類推して、この物質世界においても、体を動かすことと、体を動かさないでじっとしていること、ひょっとしたら、このふたつに本質的な違いはないのかもしれない、と考えた。

意識の中に体があるのなら、からだを動かすことも、意識の活動のひとつと言えるだろう。
バシャールが言うように意識の中に体があるのなら、肉体運動は精神活動に含まれる、そう考えてもおかしくない。

精神活動の少し特殊な活動が肉体運動、すなわち体を動かすこと、そう言える気がする。

余談になるが、バシャールの言うようにこの物質世界が夢であるなら、わたしたちが夢と呼んでいる現象は、夢の中でさらに夢を見ていると言うことか?と一瞬思ったが、そういえばこういうバシャールの言葉があったのを思い出した。

現実は夢であり、夢の方が現実なのです。

いや……夢の中で見る夢だからこそ、それは現実と言えるのかもしれない。

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コメント

  1. なな より:

    バシャールの、「意識は体の中にあるのではないのです。意識の中に体があるのです。」というフレーズについて、
    私なりの解釈を書いてみようかな、とおもいます。
    共有する事で何らかの発展につながればよいなと。

    私は「意識の中に体がある」というよりは、「意識の一部として、体がある」と捉えています。
    つまりは、いろんな次元に繋がる可能性がある意識がまずある。
    その一部が、この物質世界の中で表現する為の肉体として存在している、ということです。

    「意識」はエネルギーとしての存在、現世的にいうと「かみさま」とか「あの世でこちらを守っている人」のように従来表現している存在に近いようです。
    本来、そういったエネルギーとしての意識は共有できるものである、ということではないでしょうか。

    そして、その「意識」が現世の肉体にさせたいとおもうことをやると自ずとわくわくできる、なぜなら大きな意思、本来の自分の意志に素直にいられるから・・・
    その流れに、身をゆだねていきたいものですね。

  2. バシャール研究家 ワクワク より:

    こんにちは 🙂

    コメントありがとうございます。

    ななさんの解釈読ませていただきました。

    バシャールからの情報を文章として表現して、さらにその一部分だけを取り上げてしまうと、解釈に幅が出てしまいますが、私の感想では、ななさんの解釈といままでにバシャールから得た情報にそれほど違いは感じませんでした。

    なので違和感なくななさんの解釈を受け入れることができました。
    おそらくバシャールの言っていることとほぼ同じだと思います。

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