多くの人はすでに私たちがお話ししたのを聞いていますね。
どのような状況もすべて中立で、それ自体は本質的に意味を持っていない、ということを。
どのような状況にも最初から決まっている本質的な意味は存在していません。
単に中立的なヒントになるだけです。
以上、バシャール(チャネル:ダリル・アンカ) (著), 関野直行 (翻訳)『BASHAR GOLD(バシャール ゴールド)』P.21より引用させていただきました。
すべては中立です、そう言われると大抵の人は、そんな馬鹿なことあるはずがない!だって……と、悲惨な状況を列挙すると思います。
そして続けます。
こんな悲惨な状況のどこが中立なんだ!と。
でも、悲惨という意味づけを与えているのは、他ならない人間なのです。
山とか川とか、リスとか、ウサギとか、あるいは木星などの惑星は、戦争に悲惨であるという意味づけは与えないと思います。
悲惨なものといえば戦争です。
戦争では多くの人が死にます。
人間は、とても戦争を中立に見ることはできそうもありません。
でも現実がバシャールの言うように本当に夢のように幻想であれば、夢の中で起こっている戦争に、どういう意味があるでしょう?
あるいは、魂が永遠であり、人は本質的には無になることはなく、意識は永遠に続いていくとしたら、どうでしょう?
人は今までに何度も生まれかわっているとしたらどうでしょう?
死は単なるひとつの状態の変化で、服を脱ぐのとさほど変わらないとしたらどうでしょう?
そもそも、この現実世界で人間の命に寿命と言う死を与えている存在は誰でしょう?
人間に死を与えているのは神ではないでしょうか。
すべてではなく部分に死を与えるものを悪魔と呼び、すべてのものに死を与えるものを神と呼んでいるのが人間……そうも言えないでしょうか。
このようにどのような状況も人間の意味づけによって相対的に変わってくるなら、それはどのような状況も本質的には中立であることを意味してはいないでしょうか。
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