人々が宇宙の調和に根ざした生き方をはじめないかぎり、ゆっくりと自然に進むべきこの変化は、ひじょうに暴力的に、破壊的になっていくよ。:『もどってきたアミ―小さな宇宙人』をバシャール的に読む

本来、自然に進んでいくべき惑星の変化の過程というものが、人々のいだく邪悪な感情・思想や行為が原因となって、とてもせわしなく、はやめられているんだよ。人々が宇宙の調和に根ざした生き方をはじめないかぎり、ゆっくりと自然に進むべきこの変化は、ひじょうに暴力的に、破壊的になっていくよ。

以上を、エンリケ・バリオス (著), さくら ももこ (イラスト), 石原 彰二 (翻訳)『もどってきたアミ―小さな宇宙人 (徳間文庫)』94ページより引用させていただきました。

食べるためではなく人を殺したり、あるいは自分自身を殺したり、自然を破壊しつくしたり、地球でさえ破壊できるような武器を所有したり、戦争をして子供から大人老人まで殺しまくったり、それらの人類の行為は自然な行為なのだろうか?

人類は自然の一員なのだから人類のやることはなんであれ自然なのだという人がいる。

自然から生まれたものは自然の内に収まるというのは論理的合理的な考えだ。

だとすれば、変化を暴力的破壊的に迎えて自滅して人類の種が絶えたとしてもそれは自然現象と言えるだろう。

ということは、どういう自然を選ぶかという選択の問題なのだろう。

嵐とか地震とか雷とかそういう荒々しい自然さを選ぶのか、もっとおとなしく進行する自然を選ぶのか。

そうでないと本来の自然さに対して、本来ではない自然さが存在してしまう。
自然の中で生まれ自然の中で育ってきた我々人類は本来ではない自然さを想像することは出来ないはずだ。

あるいは単に定義の問題かもしれない。

人間の手の加わらないものを自然と定義すれば、たちまちにそこに、自然と不自然が存在し始めるのだから。

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