ここ(オフィル星)には罰もなければ刑務所もない。もしだれかがなにか過失をおかしたばあい、そのひとじしんが苦しむことになるんだよ。つまり、自分で自分を罰する んだ:『アミ 小さな宇宙人』をバシャール的に読む

ここ(オフィル星)には罰もなければ刑務所もない。もしだれかがなにか過失をおかしたばあい、そのひとじしんが苦しむことになるんだよ。つまり、自分で自分を罰するんだ

以上を、エンリケ・バリオス (著), さくら ももこ (イラスト), 石原 彰二 (翻訳)『アミ小さな宇宙人 (徳間文庫)』163ページより引用させていただきました。

自分で自分を罰している状態とはバシャールの言葉でいえば罪悪感でしょうか。

そして愛の反対語は罪悪感。

愛に反する行為をするから罪悪感を感じる。

そしてそれが罰となる。

ただ単なる過失と悪意からの行為は違うような気がする。

そこに愛があったとしても過失は起こるが、そこに愛がないゆえに悪となるはずだ。

ただ過失の種類でも、あとで悪だと気づく過失というのも存在する。
あとであれは悪いことだったと気づく場合だ。

現在での地球では罰や刑務所が必要なのは、悪いことをしても良心が苦しまないか、悪い行為を止めるほどには良心が苦痛を感じないってことなんでしょうね。

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