YouTubeのバシャール:「バシャール関野あやこ次の地球へPart2」 – 箱に閉じこめられて不自由を感じたとき箱の中にいたという体験は真実だが箱は幻想

このビデオでは主にふたつのことについて述べている。

ひとつは、自分の外側は幻想であり、真実は自分の内側にある。
だけど、その外側の幻想の中での経験もまた真実である。

そして、もうひとつは、この物質世界は常に存在しているのではなくパラパラマンガのように毎瞬毎瞬世界を再創造しているのだ、ということ。

セカンドライフというオンラインゲームがある。
このゲームにはゲームオーバーがなく、目指すべき目的も特に設定されていない。

プレイヤーは、思い思いにいろんな人生を送る。

わたしがこのオンラインゲームにハマっていた頃、同時に恋愛にもハマってしまった。
結局はパートナーの浮気からその恋愛は悲劇的に幕を閉じたのだが、その時の苦しさといったら、結局その破局した夜は一睡も出来ずに朝を迎えてしまった。

しばらくはそのことを考えるだけで胸が痛かったが、いつしかその痛手を乗り越えることができた。そして私は自分が人間的にも成長したことを感じた。

オンラインゲームでの経験はバーチャルなものであったが、失恋を乗り越えるというその経験はリアルなものだったのだ。

さて次に、この世界が毎瞬毎瞬リセットされそしてまた再創造されていることについて考えてみたい。

そんなあ~と思うかもしれないが、意外と身近にその例があった。
ブラウン管のテレビだ。

そもそもテレビの画面が動いて見えるのは、一秒間に25から30枚のパラパラマンガをブラウン管が演じているからに過ぎない。だから本質的には前後のシーンは完璧に独立していてなんの関連性も持っていない。

だって、次のシーンになる前に、前のシーンはすべてなくなってしまうからだ。
まったくのゼロになってから次のシーンが創造されはじめる。

一秒間に25から30回、リセットされては再創造を繰り返しているのだが、そのスピードが早いために、人間の目にはスムーズに動いているように見える。

しかし、しかしだ、人間の常識として、ひとつのシーンから次のシーンへ移るとき、ある程度の制限がある。ものが突然消えたり、テレポートしたり、時間が逆に流れたりはしないということだ。

この制限も幻想ということになる。
なぜなら自分の外側にあるからだ。

tah03028

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