「素晴らしい人間にならなきゃ」と思っている人が多いと思いますが、その考えはダメダメ。ゴミ箱に捨ててくださいね。なぜかというと、素晴らしくなると、神さまをしらけさせてしまうんです。
以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の40-41ページから引用させていただきました。
「じゃあ、素晴らしくならなくていいの?」
の答えは、こうだそうです。
「素晴らしくならなくてもオーケー。だって、僕たちはそもそも素晴らしい存在だから。なぜなら、僕たちはみな神さまなんだから」
まあ確かに自分が神さまであるなら、素晴らしくなろうとする必然性は全然ありませんね。
何も怖いものはありませんし、何かに従う必要もありません。
神さまなんだから全くの自由に生きることができます。
神は全知全能。
なんでもできる!
死なんかもちろん超越している。
と考えると、「素晴らしい人間にならなきゃ」という思いの裏には、いろんな打算があるってことですね。
素晴らしい人間であるほうが何かと得だとか、素晴らしい人間でないと後でどんなしっぺ返しがあるか怖ろしいとか、素晴らしい人間であることに優越感を覚えるとか、とかとか……。
自分が神さまであるなら、怖れもないし、誰かと比べることもない、損得もない。
「素晴らしい人間であらねば!」と考えるから、そうでない自分に罪悪感を感じたりする。
いろんなネガティブな感情が生まれてしまう。
何かと比べて初めてわかるのが「素晴らしい」という価値観なのかも知れません。
ある意味「素晴らしい人間にならなきゃ」と思うから人は不幸になる。
他人と自分を比べた途端に人は不幸になる。
人より優れて有りたいという思いが人を不幸にする。
何かを比べると言う世界では、一位になれるのは一人だけだから。
しかもその一位は永遠ではない。
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