意識のなかに自我が入るから人生を複雑にする
以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の118ページから引用させていただきました。
以下書いてあることをまとめてみます。
人間は、意識(魂の世界観)と自我(思考の描く世界観)の葛藤が常にある存在。
本当は誰もが神さまであるのに、自我を通すとそれを発揮できなくなる。
地球は神さまがつくった遊び場であり、そこで苦しみや悲しみ、寂しさを感じながら生きるには
自我というボートがあった方が便利なのである。
本当の自分を真剣に探求しようとする人だけが、自我というボートから降りて、意識の世界にアクセスすればよい。
……ということでこれはおそらく、私が考えるに
もし大自然のなかで生きている野生動物の中に、なんらかの手違いで、現在生きている人間の魂が宿ってしまったら、それまで大自然の調和のなかで生きていた野生動物は、生物としてのバランスを崩し葛藤を抱いたまま、与えられた寿命を迎える前に死んでしまうのではないかと思う。
野生動物の中に間違って宿ってしまった人間の魂は、きっとそのことを悩み、そして葛藤するでしょう。
そんな苦しみを理解しようとしない人間たちに復讐を誓うかも知れない。
しかし、野生動物の肉体に宿ってしまった人間の魂が、そのことを受け入れて大自然と調和して生きたなら、元々の寿命を生きることが出来るだろうし、魂の葛藤も起こらない。少なくとも野生動物としては幸せな人生を送ることが出来ると思う。
間違って野生動物の肉体に宿ってしまった人間の魂が、そのことをどう解釈するかによって
その後の人生は、不幸にも幸福にも成り得るんだと思う。
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