ある日神さまは、なんでも思ったことがかなってしまう意識の世界に飽き飽きして、「なにか刺激的なものがほしい~」と思い立った – やん神を読書2

ある日神さまは、なんでも思ったことがかなってしまう意識の世界(魂の世界ともいい換えられます)に飽き飽きして、「なにか刺激的なものがほしい~」と思い立ちました。

以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の35ページから引用させていただきました。

その結果、遊び場若しくは遊園地として創造した場所が地球だったとなるわけですが。

この考え方ってこの本の著者だけではなく、他のいろんな人も、同じようなことを言っていますね。

バシャールも想像と現実は同じだと言っています。

バシャール・ペーパーバック5―望む現実を創る最良の方法はワクワク行動をすること (VOICE新書)の74-75ページには以下の様にあります。

あなたはなんでも想像することができます。
あなたに足りないところがあるとしたら、「自分でイメージができるものは、どんなものにでもなれる」という理解かも知れません。
みなさんが今、なにかイメージしたとき、あなたはその瞬間すでにそのものになっています。
でもそこでいうのです。
イメージの中と実際に起こすこととは違うのだ、と。
ところがここでは、「あなたが」その違いを創っています。
想像するのと、実際にこの物理次元で起こすことは違うのだ、と自分の想像力を使って、分けているだけなのです。
本当は同じものだとわかるに従って、非常に早い時間で想像を実際のものにすることができるようになります。

想像の中、つまり意識のなかでは、なんでもすぐに願いがかなってしまう。

なんでもすぐに願いがかなってしまう想像の世界に飽き飽きして、同じことを現実世界でもやろうとして、この地球という遊園地を創った?

自分の願い通りこの現実世界である地球ではすぐに願いはかなわない……。

地球ではすぐに願いがかなわないのが当たり前。

だってそのために地球を創ったのだから。

すぐに願いがかなわないのは幸せなことなのだ。

すぐに願いがかなってしまえばつまらない。

すぐに願いがかなわないからこそ人生は面白い。

とそうなるのかも知れません。

少し意地悪く考えると

人は不幸になるために生まれて来た。

不幸で生まれて来たからこそ幸福になれる。

幸福な人は決して幸福には「なれない」、だってもうすでに幸福なんだから。

不幸であることは幸せなこと、何でも願いがかなわないのは楽しいこと。

だとしたら、不幸であることや願いがかなわないことに「悩む」のはとても滑稽なことになります。

だって、自分が望んで不幸な状態、願いがかなわない状態に生まれて来たのに、それを悩む必要はなく、むしろ望んだ状態になったと喜ぶべきだからです。

ああよかった、不幸でよかった、願いがまだかなってなくてよかった。

これでやっと、私は幸福を体験できる!

願いがかなった喜びを体験できる!

地球を創った甲斐がある。

 

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