バシャールと宇宙連合による本『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』の21ページにはこうあります。
非物質的な世界において知性というものはありません。意識はあります。概念もあります。そして非物質的な世界では、皆さんは概念そのものだということに気がつくでしょう。この物質世界においてさえ、皆さんは概念そのものなのです。
ハッキリ言って理解不能です。
何を言ってるのか分かりません。
なのでここまでを以下にまとめてみます。
5つの波動レベルというのがあります。
存在
知恵
観念
感情
知性
の5つレベルがあり、上に行くほど高い次元となっている。
つまり知性は一番下の次元です。
哲学的には、
体験できるもの、想像できるもの、そして考えることのできるものすべては存在自身の一部。
それらは実際に存在すると言える。
思考も存在するし、概念も存在する、存在も存在する。
みなさんがいわゆる本当の現実だと信じているものすべては
「存在」から派生したひとつの哲学的見方に過ぎない。
根本である「存在」から「知恵」が、「知恵」から「観念」が、「観念」から「感情」が、「感情」から「知性」が生まれる。
これは、「存在」の中に存在する分割することのできない創造の完全性から、物理的現実次元へのエネルギーの移動と多様化、そして特殊化の話だ。
以上で「まとめ」は終わりです。
非物質的世界に知性がないというのは、逆に言うと、物質的世界を認識するためには知性が不可欠だったとなるのかも知れません。
私達は概念そのもの?
「概念そのものである私達」というイメージが湧きません。
意味づけする主体意識?意味づけするエネルギー意識体?
おそらく夜見る夢の世界全体が概念そのものの自分だと推測できます。
根本である「存在」から派生したものが知性なので、知性が生み出すものはすべて「存在」内に存在してしまう。ゆえに知性が?想像するものはすべて「存在」を越えることは出来ず、よって想像するものはすべてどこかの次元(存在か知恵か観念か感情かはたまた知性の次元)で存在することとなるのだろう。
大いなる全てという根本的存在内で起こり得ることはすべて存在するということだろう。
非存在は大いなる全ての外ということになるが、大いなる全ては大いなる全てなので大いなる全て以外というものは存在できない。
非存在を想像できたとしてもそれは偽の想像であり、どこの次元にも存在していないということだろう。
でも
「大いなる全て」以外の存在
という言葉は確かに存在している。
言葉が存在できるなら、それに付随してそれを想像することも可能なような気がする。
しかし、「大いなる全て」以外の存在を”想像”した途端にそれが存在してしまうが、それは「大いなる全て」の中には存在できない。その点はどうなんだろう?思考が行き詰ってしまう。
「大いなる全て」すなわち根本である「存在」というのは文字通り大いなる全てであるので、思考が何を考えようが何を想像しようが、肉体が何をしようが何を創造しようが、何をどうあがいても、大いなる全てをはみ出すことは出来ない。
それが「大いなる全て」が持つ本質的特質。
コメント
>「大いなる全て」以外の存在という言葉は確かに存在している。
>言葉が存在できるなら、それに付随してそれを想像することも可能なような気がする。
>しかし、「大いなる全て」以外の存在を”想像”した途端にそれが存在してしまうが、それは「大いなる全て」の中には存在できない。その点はどうなんだろう?
違います。そうやって想像したものも、「大いなる全て」の中にあります。
なぜなら、想像という仕組み自体が「大いなる全て」の中のプログラムだから、です。
こんにちは、このことについて自分なりに考えましたが、想像というものの質の問題もあるなと思いました。
想像は存在しないものも想像が可能に思えます。
しかし実際は存在しないものは想像は不可能です。
想像と言ってもちょっとした質の違いがそこにはあるような気がしますね。