これは、宗教が発生したことに対する批判ではありません。皆さんの文明が選択をしたのです。皆さんの文明の意識がグループとして、大いなる全てからの自己の分離を通して、あらゆる否定的な表現を探求してみることを選択したのです。これも大いなる全ての中の偉大な創造であり、それ自体は大いなる全てが自分自身をそのようにも見ることができるという事実だけを考えれば別に否定的なものではありません。
以上を、バシャールと宇宙連合 (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.59より引用させていただきました。
これは前の記事
宗教に人が集まり、その上おびただしい数となるのは、大いなる全て(すなわち本来の自分)より自己を分離することから生じる混乱の自然の結果だということがわかります。 by バシャールと宇宙連合
の続きです。
私の場合生まれつき自分の頭で考えないと気が済まないたちなので、どうも宗教というものに馴染めません。しかし一方で宗教が羨ましいと思う時もたまにあります。
宗教には仲間がいっぱいいるからです。
宗教は人と人とのつながりだからです。
世間を見渡してみて、世界を見渡してみて、日常のニュースを見聞きしてみて、あるいは人類の歴史を鑑みて、バシャール達の言う「あらゆる否定的な表現を探求してみることを選択したのです」というのは説得力があります。
人類は気高く素晴らしい面がある一方で悪魔のような残忍な面も持ち合わせています。
ただ、すべてがバシャールの言うように中立であるのなら、素晴らしいとか悪魔のようなとかも存在しないことになりますが……。
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