幻想とは、皆さんが、「ひとつである状態(ワンネス)」という分割されていない状態から変化または分化した現実の中で、自分が誰であるかということを表現し体験するための方法論です。大いなる全てが自分自身を見るために創造したいかなる方法も、ひとつの映し出された影に過ぎず、影は常に実体のないもの、すなわち幻想なのです。
以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳) 『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.40-41より引用させていただきました。
バシャールは以下のように言っていますね。
つまり現実はイリュージョン、幻想に過ぎないと……。
みなさんがなにを学んでいるかというと、いわゆる夢というものが現実であって、今の現実というものが夢だという事を学んでいます。 by バシャール
この現実には実体がないそうです。
大いなる全ての影がこの私たちの生きている現実。
……と言われても、私たちの言う実体のあるものとは、私たちの五感で認識できるものですから、大いなる全てのほうが、幻想になってしまう訳ですが……。
だって大いなる全ては、見ることも触ることも聞くことも匂いを嗅ぐことも出来ない。味わうことも出来ない。
だけど、大いなる全てなんだから、ほんとに全てだとすると、何を見ても大いなる全てを見ていることになり、そういう意味では実体はおおありです。
人間が影をおとした場合、その影はその人間の実体とは言いませんが、大いなる全ての場合も、その影は大いなる全ての実体ではない。とすると、影は大いなる全てではないのか?という疑問が出てきます。
大いなる全てが、その影を含まないのなら、影というのは存在しないことになりますね。
まさに、幻想です。
つまり、私たちは大いなる全ての幻想しか見ることが出来ないということですね。
なぜなら影の世界に住んでいる私たちが見ることのできるのは影という幻想だからです。
となると、さっき書いたことが、成り立たないですね。
大いなる全てにこの物質世界は含まれない。
なぜならこの物質世界は存在していないから。
つまりこの物質世界は、大いなる全ての影に過ぎない。
影に実体はないのだ。
……となると、すべてに神は存在しないことになりますね。
存在しないものの中に神は存在できません。
ゼロはゼロです。それが1になったら、もはやゼロはゼロではありません。
でも、バシャールは以下のように言っているし……
ということで、幻想もそこに住んでいる間は、現実である。
と、そう定義するしかないですね。
本来存在しない実体のない現実世界についてあれこれ考えるのは、無駄なような気もしますが、この幻想である現実世界のルールに縛られているので、どうしようもありません。……と言うところでしょうか。(^-^;
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