落ち込みとは、単にひとつの形の瞑想でしかありません。自分の求めている答えが外に見出せないと知って、自己の内へと目を向けている状態です。 by バシャールと宇宙連合

落ち込みとは、単にひとつの形の瞑想でしかありません。自分の求めている答えが外に見出せないと知って、自己の内へと目を向けている状態です。あなたがこれを行っている時には、自分のしていることがわかっています。それが否定的なものとなるのは、この状態を非社交的だと判断した場合(「自分の問題に直面しようとせずに逃げている」などと周囲の判断を受け入れてしまった時)です。

こういう状態に自分を置く時、あなたは自分で何をしているかを知っています。あなたは内へと入って行っているだけなのです。自分の観念や感情や思考などによって創り上げている性格を構成し直しているのです。そして再び浮上してくる時には、あなたは文字通り新しい性格とものの見方をもった新しい人となります。

以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳) 『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.27より引用させていただきました。

性格は人工的なものなので、変えることができる。
実際性格は常に変化している。

性格は、このように柔軟で、「知っている部分」(存在?その下の知恵か?)が、肉体を選んだその瞬間瞬間の目的に応じて、どのような形にでも変化できる。

「存在」

「知恵」=完全な意識から生まれた非物理的な産物。

「観念」 → 「感情」 → 「知性または思考」 = 物理的現実という幻想を創造するために使われる

私たちの「知っている状態にある自己、大いなる自己、または非物理次元の自己」は、常に物理次元における性格の中で探求している様々な考え方をすべて完全に認識している。(同書P.26)

ここで疑問です。
知っている自己とは、「知恵」を指すのか、それとも、「知恵」とその上の「存在」も両方含めて指すのか、どっちだろう?

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