純粋で均一な「存在」が自分自身を知った時、「存在」はすでに分離を始めたことになります。最初の分離、最初の分化は「知ること」なのです。
以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳) 『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.26より引用させていただきました。
「存在」から物理的現実までの5つの波動レベルは、
存在 → 知恵 → 観念 → 感情 → 思考。
そして、存在のすぐ下が、知恵=知ることです。
存在が自分を知ったときには、もうすでに分離している。
存在が自分を知ったときには、もうすでにネガティブが入り込んだ。
……そういうことですね。
あの有名なアダムとイヴが善悪を知る木の実を食べて楽園を追放された話しを彷彿とさせますね。
バシャールペーパーバック 1:ネガティブな行動とポジティブな行動
ネガティブな行動とは「分離してしまう行動」です。 部分部分にしてしまうような行動をいいます。 ポジティブ(肯定的)な行動とは、「統合する行動」です。 統合する、統一する、そういう行動です。
2013.10.3追記
でも……
知ることは愛だとしたら
「愛することが人を知ることだ」ということです。世の中では人を知ることが愛することだというように考えられていますが、実はその逆なのです。(テレパシーの原理)by バシャール
ん?逆か?
愛することが知ること?
だとすると、
「存在」には愛があったので、自分を知ろうとした?
しかし、存在が自分を知ったときにはもうすでに分離している。
そして、分離とはネガティブな状態である。
愛するとは関心を持って知ろうとすること?
そして、知ることは分離という観点からするとネガティブな行為である。
ならば、ネガティブは愛から生まれた?
ネガティブは知ることから生まれた?
これが聖書の善悪知るの木の実の話?
しかし、本来すべては中立であり、善悪というのは人間の勝手な意味づけのひとつに過ぎない……。
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