バシャールは、観念から感情が生まれ、感情から思考パターンが生まれ、行動へ移り、現実が創造されると言った。
このことについて自分なりに考えてみると、意味づけによってイメージが膨らみ感情が生まれるように思われる。
(その逆もあるかも知れない。あるいは同時なのかもしれない。)
たとえば目の前にバシャールの本がある。
バシャールの本が目の前にあるだけでは、なんのイメージも感情も湧かない。
だがしかし、バシャールの本は宇宙存在からの情報が記載されておりそれは真実に違いないという意味付けを何処かから入手した途端、その本を手に取って読書をしている自分がイメージされ、それと同時になんらかの感情も感じるはずだ。
ただバシャールの本がそこにあるだけ → なんだろう?この本
その本は宇宙人が書いた本で、真理が書かれているという話だ(観念) → その本を手に取って読書している自分をイメージ → もしかしたらこの本で自分は変われるかも知れない(観念) → 変わった自分をイメージ → 嬉しい感情 → 実際に手に取る
あるいは逆に
その本は宇宙人が書いた本で、真理が書かれているよと友達が言う(意味付け) → え?と好奇心に溢れた気持ちになる → その本を手に取って呼んでいる自分がイメージされる → 実際に手に取る
みたいな感じだろうか。
いずれにしても、行動に移る前に、イメージと感情、この両方が生まれているはずだ。
現実を変えるのは行動しかないが、そこに至るには、必ずイメージと感情を経由する。
しかも、イメージは絵であり、何かを否定するときにはまずその絵をイメージしてからでないと否定できない。
だから本当は実現して欲しいものしかイメージしない方が良い。
好ましくない何かを否定するということは、まずその好ましくないものをイメージしなくてはならない。
何かを否定するということは、その何かを肯定するのと同じことになってしまう。
イメージの世界では、否定は存在せず、肯定しか存在しない。
何かを想像するということにおいて、否定それ自体の想像は不可能である。(それが存在しない状態というのは想像できない。リンゴは想像できるが、リンゴでないものは想像できない、リンゴ以外のものは想像できる)
言葉での否定は可能である。(この場合もイメージ上では肯定することになる)
今日の気づきの結論は
現実の創造においてイメージはものすごく重要な役割をしているのに
イメージに否定形は存在しないという事実。
自分がイメージするものに気をつけたいものです。