どんな状況も、あらかじめ決まった意味をもっているわけではないのです。
みなさんがその状況に対して、自ら選択して与えた意味が、自分に対してどういう結果をもたらすのかを決定します。
これを、先程「自分の与えたものが、自分に戻ってくる」といういい方で表現しました。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック6―ワクワクを生きると自然に「いま」を生きられる (VOICE新書)』P.45-46より引用させていただきました。
さて、たとえば、愛が欲しいなら愛を与えれば愛を得ることが出来る、そう考えられそうでしたが、「自分の与えたものが、自分に戻ってくる」の意味が、与えた意味が戻ってくるものを決めるの意味であるのなら、必ずしも愛を与えなくても、愛ある思考から愛を得られる気もしてきました。
まずここで、「全ての状況は基本的には中立である」というのが最初にある。
意味のない世界では、感情も動かされず、誰も行動することなく、現実に変化はない。
本来中立であるものに、人間が意味を「与えて」はじめて、感情と言うエンジンが回り出す。
そしてそのエンジンを何かに直結したとき、すなわち人間が行動を起こしたとき、周りの風景が変わる、現実から戻ってくるものが変わってくる。
「自分の与えたものが、自分に戻ってくる」の与えるが、中立なものに意味を与えるという意味であるのなら、生き方も少し変わってくると思う。でもだからこそ、意味を与えるその瞬間に無条件の愛が入り込む隙間が生まれるのだろう。
無条件の愛からすべてに意味づけを行なうことは可能です。