私達は生まれ変わる前に、それぞれ自分の学ぶべきテーマを決めてきます。(中略)個人的なテーマは色々ですが、根本的にはこの地上で肉体を持って、「どれだけ多くの愛を表現できるか?」という事です。日常生活の中で、どれだけ自分や他人を愛する事、ゆるす事、受け入れる事ができるかどうか?それが最大の目的です。
スピリチュアルな生き方とは「すべてから学ぶこと」そして、魂の目的に沿って愛を生きる事なのです。
ソフィア・エムート (著) 『あっという間に奇跡が起きちゃう魔法の本 ―手にとった瞬間から幸せがやってくる!』P.77より引用させていただきました。
さてこれもドラマ『泣くな、はらちゃん』を基に考えてみると、漫画のキャラが生まれるとき、おそらくそのキャラにはある程度の役割があるでしょう。主人公に同意する役割だとか、主人公を励ます役割だとか、主人公にインスピレーションを与える役割だとか……
それらがそれらのキャラクターの学ぶべきテーマということでしょう。
しかし、根本的にそこに「どれだけ多くの愛を表現できるか?」というのが、すべてのキャラクターにあるとすれば、それは漫画の作者である漫画家に愛があり、漫画を描く動機が愛であるときだけでしょう。
ただ愚痴を発散するためだけに漫画を描くなら、そこに愛はないでしょう。
なぜなら作者に愛がないから、神様に愛がないからです。
紙におろした漫画家のペン先が永久にそこに留まっていなかったのは、なんらかの感情を漫画に描きたい!という漫画家の意思がそこにあったからです。
そしてどうやら幸運にも、私達の住んでいるこの世界という漫画を描いている神様は、愛と言う感情から、この漫画を描き始めたようです。