さっきの記事
書いていて、気づいてしまった。
実は、私達は、ドラマ『泣くな、はらちゃん』の中に出てくるはらちゃん達の一人なんだと。
神様は、手に持ったたったひとつのペン先を動かし始めた。
それが、宇宙の始まりだった。
たったひとつのペン先からすべてのものが生まれた。
そして、すべてのものが生まれる可能性がある。
漫画家という神様が想像することはすべて、たったひとつのペン先から漫画として創造することができる。
神様は、自分の描いた漫画を見て楽しむことができた。
それは、素晴らしい事だった。(この時自分が描いた漫画だということを神様は忘れている。そうでないと漫画を楽しむことはできない。一時的に神であることを忘れるのだ。)
神様が白紙の上にペン先を置いたままでは、永遠に何も起こらなかった。
漫画の中の登場人物は何時しか独立した個性を持つようになった。
そして、自分が漫画家という神であると同時に登場人物でもあるということを忘れてしまった。
自分は漫画の登場人物そのものなんだと思い込んだ。
漫画家を神様だと思い込み、神様のすることが絶対のように思えた。
だけど、漫画の登場人物である自分は、自分が神様だと考えている漫画家自身でもあるのだ。
それに気がつくことができない。
自分は登場人物の一人であり、同時に神様であるところの漫画家でもあるということを、忘れてしまった。
だから、自分の望む漫画を描けなくなってしまった。
漫画の登場人物は、はらちゃん達のように、悩むことになる。
……ということで
ドラマ『泣くな、はらちゃん』をヒントにすると、私なりの、バシャールの言う宇宙の真理の理解が、一段と進むことを発見しました。
たったひとつしかないプライム・パーティクルが動きまわることによって、この宇宙の中のあらゆる物質、物体ができているのです。 : バシャール スドウゲンキ
「大いなるすべて」自体が自分が「大いなるすべて」であることを忘れてしまう経験は、「分離」と呼ばれます。それによって、「大いなるすべて」は分離を経験することができます。by バシャール
私達は、みな、共に神なのです。毎瞬々々、新しいものを創造し続けている神なのです。常に新しい変化を繰り返しながら、しかも常に存在し続けます。by バシャール
大いなる全てが自分自身を見るために創造したいかなる方法も、ひとつの映し出された影に過ぎず、影は常に実体のないもの、すなわち幻想なのです。 by バシャールと宇宙連合