すべての成長や変化は、「自分は本当は誰であるかを、さらに思い出していくプロセス」だといえます。
みなさんは無限の一面ですから、もうすでに、本当は無限な存在なのです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック5―望む現実を創る最良の方法はワクワク行動をすること (VOICE新書)』P.216-217より引用させていただきました。
そして、この物理次元に意識の焦点を絞りすぎたために、全体の意識としての自分、無限な存在としての自分を忘れる才能を見につけてしまったと続きます。
自分の意識を、小さな部分に分けて、特定のエゴの部分や性格の中に閉じこまったままにすることを覚えてしまったそうです。
このことを例のテレビドラマ『泣くな、はらちゃん』を使って解釈してみると
漫画家が漫画を描いている。
漫画家が登場人物のキャラを描いているとき、一時的には、そのキャラになりきるはずだ。
この時、自分の意識を部分(キャラの意識)に分けていると言えるだろう。
さて、もしこの漫画家が自分の描いた漫画を十分に楽しむためには何が必要になるだろう?
答えは、この漫画を自分が描いたことを忘れる事です。
そうすることで初めて完全に登場人物に感情移入が可能になり十分に漫画を楽しむことができる。
そうやって感情移入して漫画を楽しんでいるとき、その漫画のキャラになりきってしまい、自分がその漫画を描いていることを忘れてしまったら……
ドラマ『泣くな、はらちゃん』の主人公のはらちゃんのように、まるで独立した性格とエゴを持ち、自分を創造した神様にぜひ会いたいと思うかも知れません。
でも、その神様である漫画家は、実は自分自身でもある。
このドラマでは、はらちゃんが、自分が本当は誰かをどう思い出していくかは、知りませんが、ドラマの今後の展開も気になるところです。