この物理現象は、映画やアニメーションと同じです。
映画は、ひとコマ、ひとコマから作られていますね。
ひとコマ、ひとコマはそれぞれ違う場所、違う時間です。ですから違う周波数を持っているのです。そのひとコマ、ひとコマが全部「今」なのですが、その「今」をずっと続けていくためには、自分の意識がひとコマ、ひとコマ進んでいく必要があります。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』P.113より引用させていただきました。
この物理的現象がアニメーションと同じであるなら、時間には最小の単位があるってことですね。
あるいは時間とはアナログなものではなくデジタルなものだったとも言えるのかもしれません。
時間は拡大するとぶつ切りに切れている。
とすると、動きというのはある意味バシャールの言うようにテレポーテーションの連続。
場所と時間が異なるだけで、その物体は異なる周波数を持つという。
ということは、時間は常に流れているわけだから、物体の周波数は常に変化していることになる。
しかも、その変化の全てが「今」である。
全ては「今」。
「今」以外は存在しない。
全ては「今」なのだが、自分の意識が、「今」を続けていくためには、ひとコマひとコマ進んでいかなければならない。
映画のフィルムのすべてのひとコマは「今」。
映画を観るにはひとコマひとコマをスクリーン映写しなくてはならない。
あるいはスクリーンに映ったひとコマひとコマを意識は見なくてはならない。
じゃあなぜ、その「今」をずっと続けていかなければならないのだろう?
なぜたったひとつの「今」で満足できないのだろう?