今日は次のふたつのことを見ていきます。
ひとつは、この物理的な世界を中立的な見方で見るということ。
もうひとつは、集合意識として同意した象徴的な意味づけについて理解することです。
以上、ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャールゴールド』P.23より引用させていただきました。
さて最近私が中立的に見ることができない状況があります。
それは、最近の韓国大統領の日本に対する挑発的な態度です。
彼の態度は私たちにとっては許しがたいものがあります。
そして、許せないということは、中立的にみていないということでもあります。
では、どうやってこの状況を中立的に見るのか?と考えたとき浮かんだひとつの考え方は、韓国大統領側からもこのことを考えてみるということです。
韓国大統領側から考えてみると、どうやら自分の政治生命の維持のためのパフォーマンスらしいと調べがつきます。
だとしたら、それほど感情的になるようなことでもない気がします。
それほど韓国大統領は追いつめられ、あせっているようです。
次に、物理的現実の背景にある集団で同意している共通の意味づけの存在です。
すべての状況には、はじめから決まった意味などないと言う一方で、現実の背景には集合意識からくる共通の意味づけがある ということ。
この相反するようなふたつの事柄に関してどうやって折り合いをつけていくか……。
何かが存在するとすれば、それは意識が意図したからであり、意識が意図したということは、そこになんらかの意味があると考えるのが当然です。
だとすると、存在するものにはすべて意味があるという結論になるのですが、これはバシャールの言うすべての状況は本来中立であるというのに反するように思えます。
で、ここにひとつの回答が思い浮かびます。
すべての存在には意味があるが、それらの存在が組み合わされた状況には意味がないということか?と。
物には意味があるが、状況には意味はない、状況は中立である。
でも、これは単なる仮定であって、常に成り立つとは限らないかもしれません。
コメント