思考は現実化する、というのは成功哲学の世界で、よく言われることですが、どうもいまひとつ私にはフィットしなかった。
で、その原因が今日やっと分かった。
思考は暴れ馬みたいなもので、いつもそわそわして移り気で、他の馬にまでその影響を与えてしまう。
暴れ馬を調教するのはたやすいことではない。
そんな暴れ馬のような性質を持った思考を使って現実を創造するのは如何なものだろう?
その点、感じることは静寂のなかでしか行なわれない。
感じることは、山奥の湖で、そこに落ちる枯葉を待っているようなものだ。
後者の方が私には合っている気がする。
感じるを現実化するほうが簡単に思えるのだ。
あなたが感じているその裕福な豊穣感覚、それはミクロ粒子であり、現実的なカタチをとる前の原因物資 : 『空 豊穣の狩人』をバシャール的に読む
コメント