「全体」は、その全体の「部分々々」が自己認識をすることによって、自分自身に気づいていきます。
そして「部分」は「全体」を通して、自分自身を体験していきます。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック5―望む現実を創る最良の方法はワクワク行動をすること (VOICE新書)』P.182より引用させていただきました。
だからこそ、すべてはひとつであり、ひとつはすべてであるんでしょうね。
そして、だからこそ、与えるものを受け取ることになるのでしょうね。
部分も全体もどっちもが自分自身とは、どういう感覚なのでしょう?
どうして部分部分が自己認識することで、全体は自分に気がつくことができるのか?
どうして部分が全体を通して自分自身を体験することが可能なのか?
どうしてそんなことがあり得るのか。
それは、すべてがひとつであり、ひとつがすべてであるから。
時間も空間も本当は存在しないから。
時間も空間も存在しないなら、存在しか存在しない。
すべてが存在そのものであるから。
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