自分が相手に対して抱いているかもしれない、優越感か、劣等感の微妙な感覚を察知することができますか?もしそうなら、比較することによって生き延びている、自分自身のエゴを見ているのです。 : エックハルト・トール

人との交流において、自分が相手に対して抱いているかもしれない、優越感か、劣等感の微妙な感覚を察知することができますか?もしそうなら、相手の「真実の姿」ではなく、比較することによって生き延びている、自分自身のエゴを見ているのです。

以上、エックハルト・トール (著), Eckhart Tolle (原著), あさり みちこ (翻訳)『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』P.68より引用させていただきました。

そうなんですよねえ……

自分を観察していても、常に私は他人と自分を比較しています。
そして、優越感か劣等感かそのどちらかを感じている気がします。

比較をしている限り、私は相手の「真実の姿」を見ていないことになります。
優越感を感じるための手段、あるいは劣等感を感じるための道具として他人を使っているのかもしれません。

比較することによって生き延びるのは、自分自身のエゴ……
それによって相手の真実の姿を見る機会を失っている

優越感や劣等感を感じている時
相手を見ているのではなく自分を見ている

2013.5.29追記

なぜエゴは生き延びようとするのでしょう?
エゴの死と肉体の死はどう違うのか。

自分と相手を比較するときは、相手の真実の姿を見ていない。
それは単に自分のエゴを見ているに過ぎない。

MAL02010

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